本の紹介

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 昨年の終わり頃から、景気の悪化に端を発する「巣ごもり」という現象が注目を集めています。倹約のために外出を控える消費者の動向を指すこの言葉は、一時の流行り言葉とするにはあまりにも広く一般に浸透しているようにみえます。寒い季節が終わって暑い季節がやってきてもなお、消費者たちは巣穴にとどまり、経済的な理由から「巣ごもり」を続けているようです。
 多くの大人たちが太陽の光を避けるかのように家に閉じこもる一方、子供たちは相も変わらず強い日差しの中を縦横無尽に駆けめぐっています。「巣ごもり」的な日常を脱して夏を楽しむ術は、そんな子供たちの姿の中に潜んでいるのかもしれません。今回は、かつて子供だったすべてのみなさんに贈る3冊の本を紹介します。
 


 降りそそぐ太陽の光が日を追うごとに強まり、暖かな初夏の風が青々としげる草花をゆらすこの時期、例年ならば夏休みの旅行や海水浴などの計画を語り合う楽しげな声が至るところから聞こえはじめる頃です。しかし今年の夏は、なぜか辺り一面ひっそりとした雰囲気に包まれています。
 そんな中、額の汗をぬぐいながら早足で通り過ぎてゆくスーツ姿の会社員や、日傘や長袖のカーディガンなどで紫外線対策に全力を注ぐ女性たちを尻目に、こんがりと日焼けした顔に満面の笑みを浮かべて走り去っていく子供たちの姿は、見る者の心により一層深い印象を残します。
 今も昔も子供は「遊び」の天才です。本書では、著者が子供時代を過ごした終戦後の貧しい日本の至るところで見受けられた数々の「遊び」が紹介されています。物の無い時代に生み出された色とりどりの「遊び」が、物は溢れてはいるものの「遊び心」をなくしてしまった「巣ごもり」中の大人たちの「巣立ち」を後押しすること請け合いです。


 本書は、「人間はなんのために生きているのか?」(p.10)、「なぜ勉強しなくちゃいけないのか?」(p.69)など、おそらく誰もが一度は考えたことのあるいくつもの問いを10代前半の「ぼく」が提示し、「ペネトレ」という人間の言葉を話す猫がそれらに対する自分の意見を述べるという対話形式で進んでいきます。「『遊ぶ』っていうのはね、自分のしたいことをして『楽しむ』ことさ。・・・そのときやっていることの外にどんな目的も意味も求める必要がないような状態のことなんだ。つまり、なんのためにでもなく生きている状態だな」(p.13)と語る「ペネトレ」は、大人たちにとって「仕事」そのものが「遊び」になってしまうことを「とてもいいこと」だとして奨励しています(p.12)。
  「遊び」の中身は年齢を重ねるごとに変化していきますが、その根底にある「楽しむ=生きる」という思想はこの世の中に存在するありとあらゆる「遊び」に通じています。本書を読み進めていくうちに、「哲学対話」そのものがひとつの「遊び」に思えてくるから不思議です。何をするにも常に「遊び心」をもって取りくむことのできる大人だけが、子供たちと本当の意味での「対話」をすることができるのかもしれません。


 二女一男の父親であり絵本作家でもある著者が、子供たちとの間に起きた印象的なエピソードや自身の教育観などを愛情あふれる語り口で記しています。「子ども好きですか?」という質問に「一口に子どもといっても、いろんな子がいるから」答えられない(p.24)という著者は、あくまでも同じひとりの人間として子供たちと対等につきあい、彼らから何かを学び取ろうとします。「子育ては最後のページまでわからない。人間の『今』はすべて変化の過程の中にあるのだから、今だけで決めつけたり、絶望することはない」(p.54)という言葉から、子育ての経験を通して人間観や世界観を深めていった著者の成長過程が見て取れます。そして本書に表れるそのような考え方には、今日の「巣ごもり」的な世界観とは相反する姿勢が感じられます。
  常に「変化の過程」の真っ只中にいる子供たちを自分たちとは異なる存在とみなし、そこから希望や癒しを見出そうとする大人たちにとって、自分たちもまた「変化の過程」の中に含まれていることを認識することは困難です。「今だけで決めつけたり、絶望することはない」という著者の言葉は、冬の間に積もった雪を溶かし、巣穴を暖めて動物たちを穴の外へと誘う日の光のように、読む者の心を優しく解きほぐし、より広い世界へと導きます。


 

 

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