アーサー王物語に登場する女性たち: アストラットの乙女エレイン考 向 井 毅 |
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「イギリス人は各地の教会に、かの円卓団の実際にはありもしない物語の代わりに、今や聖書を持つにいたった。 . . . 神の光が彼ら円卓の騎士の卑猥さとむなしい作り話を完全に駆逐したのだ。」 1
活版による聖書が各地に広くゆきわたる前に、この革新的な技術の恩恵を受けたのはトマス・マロリー (Thomas Malory, ? - 1470) の『アーサーの死』 ( Le Morte Darthur ) を始めとするロマンス群であった。アーサー王物語は作品の大部さにもかかわら ず、 100 年あまり の間 に5度もの版がくり返し出版されたことは、先の引用にも見るように、その内容評価は対極にありながらも聖書に並ぶほどに広く受容され、人口に膾炙していたことを物語っている。また、各版の序文を比較すれば、読者層をとりわけ女性に移してゆく様子が観察できる。円卓の騎士たちの間には、修道女、世俗の娘、母、妻、寡婦、あるいは王女、王妃など、さまざまな女性が登場する。男性作者が語る女性であるとはいえ、中世後期の男たちが抱いていた女性のイメージ、他者が形づくるイメージ、そこから派生するであろう女性のあるべき姿をうかがうことができる。 本稿では、女性(読者)に向けて、直接言葉を訴えるエレイン、別名アストラットの美しき乙女をとりあげる。 2 まず当時に一般的な女性像を観察した後、エレインの言葉と行動が示唆する時代性と脱時代性とを考察し、次に乙女に表象される女性像が後世どのように受容されたのかを論じてみたい。
1 エレインの未了の恋と死の挿話 『アーサーの死』を一貫性ある作品として読みとおせば、アストラットの乙女の失恋と死のエピソードは、聖杯探求において立てた誓いを忘れ、再びグィネヴィアとの交誼をかさねるラーンスロットが王妃に対して抱く想いは誠実でかつ揺るぎない愛であることを、構造の上で確認・強調する働きを持つといえる。話の筋は次のように展開する。 聖母被昇天の日にイギリス各地から騎士を集めて開催される大馬上槍試合に、ラーンスロットも姿を隠して参加しようとキャメロットに向かう。その途上、寄寓したアストラットのバーナード卿宅で、変装するための楯の借用を申し出る。父や兄と同様、一目でラーンスロットに魅了されたエレインは、白い真珠を縁取った赤色の片袖を身に着けることを依頼する。これまで女性のかたみを着けて戦ったことがないラーンスロットは正体を隠すにはうってつけと願いを聞き入れ、よく知られた自分の楯はエレインに預けると、兄のラヴェンを引きつれ試合に臨む。赤い袖を兜に着けたラーンスロットは大胆不遜にも円卓の騎士を敵陣にまわし、めざましい活躍をする。あろうことか従兄弟のボルスから脇腹深く槍を受け、瀕死の重傷を負うと森の中に逃げ隠れ、治療のために隠者の庵を訪れるのである。 捜索むなしくアーサー王とその供はロンドンに戻る。帰途、ガーウェンは偶然にもバーナード卿の屋敷に立ち寄り、赤い袖を着けた騎士の活躍ぶりを家人に話せば、その騎士は乙女の恋人であること、楯を自分の部屋に預かっていることを告げられる。楯の紋章から乙女の恋人はまぎれもなくラーンスロットであった。エレインは恋人の深傷を知ると父に許しを求めて、キャメロットの周辺をくまなく探し、隠者の庵で血の色なく床に伏すラーンスロットを見つけて気を失う。乙女の昼夜を問わない介護のお陰でラーンスロットは回復するが、正体が知られたことから王妃グィネヴィアの怒りと嫉妬を案じる。 ラーンスロットの出立の日、乙女は彼に結婚を、それが無理なら愛人になってほしいと願う。代わりに、ラーンスロットはお金と彼女の騎士として生涯仕えるという実行可能なお礼を申し出る。望みかなわずエレインは、聴罪司祭への懺悔の後もラーンスロットへの想いを嘆き続けて息絶える。最後の願いは、口述した手紙を息あるうちに右手に握り、亡骸は漕ぎ手1人の船に乗せ、テムズ川に流すことであった。 船は流れにのってアーサー王の居城にたどり着く。窓辺で話す王と王妃は黒い船を認め、読み上げられた手紙の内容からアストラットの乙女とラーンスロットとの関係が明らかとなる。同情の涙の中、王妃グィネヴィアは先の嫉妬と怒りをよそに乙女に対するラーンスロットの冷たい仕打ちをとがめ、王はラーンスロットの対応に賛意を示す。そしてエレインはラーンスロットや円卓の騎士たちにより立派に弔われるのである。
2 中世にみる2つの女性像 マロリーは作品の中で、時間の経過とそれにともなう人の心性や習慣の移ろいをくり返し読者に喚起する。アーサー王と円卓の騎士が活躍した時代と当代とを対比させ、過去を理想化し、頽廃した読者の時代を嘆く視点がある。しかしいかに過去の世界に舞台を設定しようとも、そこには 15世紀後半の現実体験が収められている。舞台の人は過去の人であり、同時に現在の人でもある。例えば、エレインが 城 ( まち ) の市場に出かければ(躾の厳しい貴族の娘が自由に外の世界に触れることは許されなかったであろうが)、男たちが女性を話題に次のような歌を楽しむのを耳にしたであろう。
女性は木にとまる雉鳩のように誠実で 言葉は慎み深く、秘密を守る これはどこでも誰もが知っている 女性たちといっしょにいれば喜び大きい 女性の信念、決して変わらず
子羊のように大人しく、石のようにもの静か 頑固でゆがんだ女性はどこにもいない <中略> 女性はおしゃべり好きで 夫にがみがみ文句を言うとのお考え いえいえ、そんなことにかまけるよりも 断食、子育て、洗濯にいそしむのが女性です 3
15 世紀の後半、欠点をあからさまに非難し女性を疎んじる歌にまじって、女性を「称える」このような小詩が人々の間で口ずさまれていた。女性の美点を英語で描き、ラテン語句で裏返す。よくわかる大きな声で女性を誉めあげ、理解できない言葉を用いて陰で笑う詩の構造に、男女の立場をめぐる当時の意識をかいま見ることができる。女性の不品行を非難する態度は旧訳聖書のイヴに端を発し、中世の社会全体を覆うようにこの詩の基調音となっている。しかし同時に、同性である女性の身体に魂を認める道を拓いたといわれる聖母マリアやマグダラのマリアの礼賛は、この詩に女性賛美の形式をあたえている。神性にもつながる女性の尊さを自覚し、それをマリアに託して称揚した女性たちの強い覚醒を、この詩はイヴを呼び起こしながら茶化してあざ笑う。 この短詩が歌われる背景に、いま一つの女性賛美があった。 12 世紀が発見したといわれる男女の新しい愛、愛の封建化ともよばれる宮廷風恋愛がもたらした女性への崇敬の態度である。結婚が政略的におこなわれた社会にあって、愛は結婚の外にあり、夫に対し主導権を握ることは不可能であった。しかし女性の魅力をもって若い騎士たちの憧れの的、恋の対象となり、みずから進んで隷属の身におく騎士を恋人に持つことは可能であった。女性に対する愛は、戦う男のあらぶる心を教化し、高貴な人格を授け、高慢な者には謙虚の心を恵むと考えられた。 4 女は男に服従する身から、男を隷属させる立場に変化するのである。マロリーがいにしえの世界として語るアーサー王物語は、この 洗練された愛 ( フィン・アムール ) がくり広げられる社会である。 中世末期に口誦された先の短詩は、マリア崇敬と宮廷風恋愛とが生みだす「男を完成させる」女のイメージ、そしてイヴに派生する「不完全な男」としての女のイメージとが混沌し、なお女性をさげすむ時代のエトスを表現している。
3 逸脱するエレイン エレインは2人の兄と老いた父を家族として、母不在の中で育ったようである。貴族の娘に相応しく女性としての務めとたしなみは、娘は親の監視のもと教導すべしとの慣いに従い、母亡き後は父から教えを受けたのであろう。ラーンスロットに寄りそう姿を見たボルスは、「たいそう立派な乙女で、器量もよく、行儀作法も心得ている」 (a passing fair damosel, and well beseen and well taught) 5 と、噂に違わぬ美しさの中に躾の良さを認めている。乙女はしかしこの作法から逸脱する。 屋敷に立ち寄ったガーウェン卿から恋人の騎士の活躍を聞いたエレインは、騎士の楯を預かっていることを告げる。
「私の部屋にカバーで覆って置いてあります。私と一緒に来てくだされば、お見せしましょう」と乙女は言った。 「それはならぬ」とバーナード卿は娘に言った。「誰かに楯を取りにいかせなさい」 (424) 寝室という私的な空間に取り置いた楯によって騎士の恋人であることを証明できる嬉しさは、エレインを無邪気にさせ、礼儀を忘れて騎士と2人きりで部屋に向かう行動にはしらせた。父はそれをいさめ、思慮のない稚拙な行動をたしなめている。 エレインは深傷を負ったラーンスロットに死が迫っていることを知らされると、「父上、あの方を捜しに行くことをお許しください。さもなければ気が狂ってしまいます」 (425) と許しを求め、日を改めることなく出発しようとする。老いた父は娘の気丈を知ってか、「好きなようにしたらよい」 (425) と、この度は娘の無謀とも思える行動を危険承知のうえで認めるのである。エレインにはお供がついた、とも語られない。 森の隠者の庵にラーンスロットを見つけたエレインは、片時も傍を離れず彼に寄り添い看病をする。その甲斐あってラーンスロットはアーサー王と北ウェールズ王との間で紅白戦が行われる布告を聞いて、馬に試し乗りするほどに回復する。しかし傷口が割け、激しく血が吹き出ると、死んだように馬から落ちた。後悔して嘆く兄のラヴェンとボルスの声を聞きつけたエレインは、2人を非難し、騎士が使う言葉を用いて「裏切り者」 (false traitors) と呼ばわった。
エレインが用いた 「訴える」 (appeal) の言葉に注目したのが ピーター・フィールド (Peter Field) である。 6 15 世紀後半に生きる女性が ‘appeal’ の法律用語をもって訴えることができたのは、「強姦された」場合と「殺害された夫が妻の腕に抱かれて息絶える」場合の2つであること見いだし、エレインはラーンスロットを夫に見たて、妻として、妻の責任をもって彼に寄り添い、愛情を注ぐエレインの心情を明らかにした。 15 世紀の読者(とりわけ乙女と同じ階層に属する女性)は手にする本がいにしえの騎士道物語であることに注意を促されながらも、当時の社会の 生 ( なま ) の言葉を使い、行動の規範を越境する女性の姿に強い印象をもったに違いない。宮廷風愛が描かれる騎士道世界にあって、若い乙女がみずから激しく恋を語る姿もいま一つの逸脱であろう。ラーンスロットがアストラットを旅立つ日、エレインは胸のうちに押さえこむことのできない熱情を率直に告白する。
「わたしのラーンスロット様、 . . . どうぞ私にご慈悲をおかけください。そしてあなたに恋いこがれて死ぬようなことはさせないでください。」 「なんと。わたしにどうして欲しいのですか」とラーンスロットは言った。 「わたしの夫になっていただきたいのです」とエレインは言った。 「美しい乙女よ、心から感謝申し上げる」とラーンスロットは言った。「しかしながら本当にわたしは結婚するつもりはないのです」 「立派な騎士様、それではわたしの愛人になっていただけませんか」と彼女は言った。 (432) 宮廷風恋愛の様式に従えば、恋い焦がれ (lament) 、恋患い (love malady) をし、忠誠 (service) を誓うのは若い騎士であり、マリアのように慈悲 (mercy) をかけるのは領主の夫人であった。この男女の関係は、い騎士あるいは既婚の騎士が未婚の女性を恋人として選び、彼女たちに奉仕する関係にまで広く適用されたという。 7 それでも、男女間の嘆きと慈悲の関係は不変であった。しかしエレインはその関係を逆転させ、彼女が愛を告白し、騎士に仕え、慈悲を求める。結婚に至りえない恋心は、愛人 (parmour) の関係にその表現を求め、その両者が拒絶されると、彼女は「燃えるような激しい愛に耐える力なく」 (no might to withstand the fervent love) 死んでしまうのである。
4 教義に挑発するエレイン エレインは昼も夜も食べ物をとることができず、ひたすらラーンスロットのことを嘆き続ける。いよいよ体が衰弱し死が近づいた。乙女は世の罪を司祭に告白し聖餐を受けるものの、なおもラーンスロットへの想いを語り続ける。この期にいたっての恋情は止めるようにと諭す聴罪司祭に対して、乙女の口から出る反論は過激ある。
せりふの後半に言いよどみはあるものの、エレインの言葉は強い信念に貫かれている。彼女はこの世の女であること (an earthly woman) 、後にも先にもただ1人の地上の男 (an earthly man) を愛しただけのこと、それを除けば神に対して罪を犯していないこと (no offence … unto God) 、造物主である神がそうした愛をおこなうように彼女を造ったこと (He formed me thereto) 、したがってラーンスロットを愛する彼女自身は神に許容されるはずだというロジックである。 英国に初めて印刷術をもたらしたウィリアム・キャクストン (William Caxton, ? - 1491) は、マロリー没後 15年ほど後の 1485 年にマロリーの作品を出版した。出版にあたりエレインの言葉にためらいを感じたのであろうか、下線を施した個所を削除する編集をおこなう。 8 男女の愛を語るエレインの中に、当時の宗教上のコードに触れる思想を感じたのであろう。過去の騎士道の舞台からはみ出すだけにとどまらず、同時代の社会や宗教上の束縛からも自由になろうとする主体をここに見ることができる。 エレインの激しい愛 (love … out of measure; fervent love) は世俗の話である。中世には、宗教界に身をおいたアベラールとエロイーズの熱情的な愛の往復書簡( 1130 年頃 )があることはよく知られている。修道女エロイーズの赤裸々な愛の告白は、 18 世紀末のロマン主義の人たちの心を揺さぶった。しかしその書簡そのものの真偽が疑われているという。最も古い現存写本が 13 世紀半ばのものであり、脱俗した女性といえどもしょせん「女は女に過ぎぬ、 愛 ( いと ) しくもはしたない存在」であることを印象づけるために、度を超した「女性」を演じさせたとの解釈である。 9 マロリーのエレインも同様に、女性とイヴとを強く連想する読書空間に置かれるならば、女性蔑視の思想に力を貸し、社会の視線に縛られない「主張する女性」のイメージからは再び遠いところに置き戻される。
5 エレインその後 アーサー王の宮廷で読み上げられたエレインの手紙は、ラーンスロットと同性の女性たちに宛て、未了の恋と死の背景を明らかにし、埋葬と魂の祈りをお願いする。上に触れた、意味のずらしが生じうる男性中心の読書空間とは異なり、キャクストン版の序文に想定された女性の読者(身分の高い女性 (gentylwomen) )はエレインの熱情と嘆きを不足なく受けとめ、中世末期の社会を生きる身の上を彼女に重ね、ある者は勇気を得て外に向かって行動し、 10 ある者は心の情動をエレインの中に昇華させたのかもしれない。アーサー王物語は、16世紀の末には冒頭で引用したように禁書の扱いを受けるにいたるが、それまでは徐々に読者層を女性に移し、版が重ねられてゆく。読者の階層も広がったであろう。シェイクスピアの『ベニスの商人』に登場するポーシャのように「青臭い」 (puny) と受けとる現実的な受容もあったろう。 11 しかし円卓団の崩壊という悲劇の主たる原因を担ったグィネヴィア王妃にさえ救済をあたえるマロリーの人間理解にもまして、エレインの生き方に魅了された女性は少なくなかったはずである。 エレインはその後 200 年の長い沈黙をへて、 19 世紀の中世主義の胎動のもと、アルフレッド・テニスン (Alfred Tennyson) の手により、名を「シャロットの女」 (“The Lady of Shalott”) と改まり再登場する。 12 直接の材源は、マロリーの作品に負ってはいない。しかし象徴性の程度は異なるものの、2人の女の話には構造上の類似がある。エレインは娘として家人の監視のもと、将来、家柄に相応しい男の妻となるべく、また子供たちの母となるべく、屋敷の中で躾と教育を受けている。日夜、機織りに専念するシャロットの女は窓辺に立って外を見続けることは許されず、神秘の鏡に映る影をとおしてのみ外の世界をうかがうことができる。こうした2人の意識を内の世界から解放するのがラーンスロットである。エレインは一目見て、内の世界のたまものである躾と作法を忘れるほどに彼の虜になり、出会いを境に心体ともども家の外に出る。シャロットの女は甲冑のラーンスロットが鏡に映える姿を目にすると、陰の世界に飽きたりず、機織りの手を止め窓の外を覗く。そのとき呪いがかかり、織物は飛び散り、鏡はひび割れる。外の世界をのぞき見た2人は等しく死を迎える。 シャロットの女の機織りと鏡は家を守る女性の象徴であり、呪いは外に関心を持つ女性に降りかかる災いの暗示であるとした上で、高宮利行氏はこの詩をヴィクトリア時代の女性への「警告のメッセージ」であると考えた。 13 多様な解釈の中にあって、シャロットの女にこうした理解をあたえるならば、エレインやエロイーズの姿の中に探しあてる衝動が働いた、あのイヴのイメージが時の流れを伏流し、女性に対する執拗なまでに頑迷なまなざしを作りあげているといえるだろう。
注
1 Elizabeth Sweeting, ed. Studies in Early Tudor Criticism ( Oxford , 1940) 40. 2 「アストラットの美しき乙女」 (the Fair Maiden of Astolat) の呼称において、マロリー写本のアスコラット (Ascolat) がアストラット (Astolat) と誤読されてきた事実が、近年、明らかになった。しかし、本稿ではなじみあるアストラットの名を使用することとする。 3 15 世紀後半に流行した短詩。 R. T. Davies, ed. Medieval English Lyrics ( London , 1963) No. 123. 4 中世に一般的な女性像に関しては、 E. パウア、中森義宗他訳『中世の女たち』(思索社, 1977 )が、マリア賛美については、石井美紀子『聖母マリアの謎』(白水社、 1988 )が、それぞれ要を得た説明をあたえてくれる。また、宮廷風恋愛については、 C. S. ルイス、玉泉八洲男訳『愛とアレゴリー』(筑摩書房、1972)の第1章、 G. デビュイ・ M. ペロー、杉村和子・志賀亮一監訳『女の歴史II 中世1』(藤原書店、 1994 )の第8章、および A. カペラヌス、野島秀勝訳『宮廷風恋愛の技術』(法政大学出版局、 1990 )に詳しい説明がある。 5 Helen Cooper, ed. Sir Thomas Malory: Le Morte Darthur . Oxford World Classics (Oxford, 1998) 429. テクストからの引用は利便性を考慮して上述のものを用いた。なお、 E. Vinaver, ed. The Works of Thomas Malory . 2nd ed. ( Oxford , 1967) には中島邦男他訳『アーサー王物語』(青山社、 1995 )が、またキャクストン版 (1485) にもとづく物語の抄訳として厨川文夫・圭子訳『アーサー王の死』(筑摩書房、 1985 )がある。 6 Peter Field, ‘Time and Elaine of Astolat,’ Studies in Malory , ed. James W. Spisak ( Kalamazoo , 1985) 231-36. 7 G. デビュイ・ M. ペロー『女の歴史II 中世1』 431. 8 キャクストン版『アーサーの死』は、 Janet Cowen, ed. Sir Thomas Malory: Le Morte D’Arthur , 2 vols. The Penguin Classics (Harmondsworth, 1969) により、また該当個所の日本語訳は厨川文夫・圭子訳『アーサー王の死』により読むことができる。 9 新倉俊一「異形の美またはファンタスマ」、草光俊夫・小林康夫編『未来の中の中世』(東京大学出版会、 1997 )所収。 10 マロリーやキャクストンと同時代に、親子3代にわたって書き続けられたパストン家 (The Paston family) の書簡集がある。ジョン・パストン1世の娘マージェリー (Margery) は、エレインのような情熱をもって家令の男に恋をし、両親の強い反対と身分の障害を乗り越え、結婚に至ったことを伝える愛の手紙が残っている。マロリーが作品を書き終えた頃である。同家はアーサー王物語の写本を所蔵していたことが知られているが、残念ながらそれはマロリーの作品ではない。 11 シェイクスピアの『ベニスの商人』に登場する女相続人のポーシアもエレインの悲劇をおぼえている。彼女のせりふ(第3幕、第4場、 70 - 72 行)は、アストラットを出立する際にラーンスロットがバーナード卿に語る言葉 (Cooper, 433) を想起させる。 12 テニスンの「シャロットの女」は、西前美巳訳『対訳テニスン詩集』(岩波書店、2003)で読むことができる。高宮利行『アーサー王物語の魅力:ケルトから漱石へ』(秀文インターナショナル、 1999 )には詩に対するさまざまな解釈とともに、エレインとシャロットの名前の関連が詳述されている。 13 高宮『アーサー王物語の魅力』 181. |